関内の謎?

みなさんこんばんは
本日もギリギリの更新となってます。

何かと要領が悪いために立て込んでしまってブログは後回しに
なっている今日この頃(苦笑 皆様いかがお過ごしですか?

さて本日のネタですが
テーマは私の職場でもある関内です。

関内と言えば、ベイスターズの本拠地のある所。
市役所のあるところ。馬車道のある所。
関内ホールのあるところ。

などなど

この関内という街の呼び名は実は町名ではないらしいです。
さかのぼること
日米和親条約が締結された4年後(安政5年)の1858年。
米総領事ハリスとの間で日米修好通商条約が調印され、この時に、
横浜が貿易の港として開港されたらしいですね。

それまで、日本と言えば、鎖国。
外国との関係を閉ざしていたわけです。

その後日本はオランダ、ロシア、イギリス、フランスと同様の条約を
結び、国際化に向けてスタートを切るわけです。
これが、安政5カ国条約といいます。

では、今では神戸、東京、横浜、長崎など数多くの有名な
港がありますが、当時、東京江戸ではなくて、なぜ横浜が
開港したのでしょうか?

それは、当時、東西を結ぶ、東海道の宿場町である神奈川宿の
付属の湊として、かなり大きな、神奈川湊があったそうです。
そして、江戸よりはちょっと田舎なここ横浜の方が何かと都合も
いいし、取り締まりやすいし、面倒でなかったと(笑

という事や、まじめな話としては、水深が深かったという理由も
あるそうです。

そして、本格的な港を作るわけですが、そこの港の入出を見張る
、箱根の関所みたいな、関所が設けられました。
港を囲い込むように河などがあって、そのあちこちに関所(監視所?)
があった様で、まさに「港」囲い込み状態ですね。


そして、その関所の内側の場所。その関所の内、関の内、、、、


関内。


関内万歳!

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このページは、管理人が2008年6月16日 20:11に書いたブログ記事です。

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