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横浜FC 会長 奥寺康彦氏 INTERVIEW

サッカーとともに海を越えてあの日、あの時。そして未来
すべてを横浜の地へ

横浜FC 会長 奥寺康彦氏 INTERVIEW

1970年代、当時世界最高峰のリーグといわれたドイツ・ブンデスリーガ(Jリーグ設立のモデルにもなったドイツのプロサッカーリーグ)で日本人初のプロサッカー選手として活躍した、サッカー界の真のレジェンド・奥寺康彦氏。現在、横浜FCの会長としてスポーツによる地域コミュニティ推進に携わる。奥寺氏のヒストリーを振返りながら、その根底に流れる‘あの日あの時‘に触れる。

世界最強リーグで戦った1970年代

「ブンデスリーガ時代、感じたのは、ドイツ人は人をよく見ていること。練習中はもちろんチームへの貢献といった姿勢から人間性まで。そして意見をしっかり持ち、きっぱりノーといっても後腐れがない。それぞれが自律している反面、個性のぶつかり合いはハードだが、個に多様性がある集団はその戦術にもダイナミックな広がりがある。逆に同じタイプが揃うと行き詰ったときの打開策がない。伸び代がない」。
ドイツでの活躍は、世界的な名将ヴァイスヴァイラー監督のもとから始まり、3チームを渡り歩き、そのプロ生活は9年間にも及ぶ。チームに同じスター選手はいらない。ましてや外国人枠は2人。自身の武器「左ウィング」にとどまることなく、FW、MF…と、求められるポジションで全力を傾けレギュラーを死守。リーグ優勝やドイツカップ優勝に貢献した。
スポーツの世界では1+1の結果がゼロ、時にはマイナスになることもある。
「確実に2にすることに集中した」。
トッププレイヤーと互角に戦い、手堅く結果を出し続けるのは生半可なことではない。40年前、日本と世界に大きな格差があった時代の話である。

横浜からブラジル、そしてドイツへ

奥寺氏のサッカー人生は、遡ること横浜市立舞岡中学2年、同級生に誘われた部活動から始まる。決して活発ではなかったというが、「点を取って勝つ」喜びに目覚め、レギュラーとして才能が開花。「俺たちがやっている、やらされてるんじゃない。俺がシュートを決めて勝つ」。その自負が、強豪・相模工大付属高(現在の湘南工科大学付属高等学校)での活躍、そして日本サッカーリーグの古河電工へ、その縁からブラジルプロチーム留学へと続く。
ブラジルでは、ひたすらフィジカルを鍛える練習が続いた。しかしこれは、プロがもつボールテクニックの高さの表れでもあった。たとえば監督とロングボールパスを繰り返す中、監督が100%正確な返しであるのに対し、奥寺氏は3ー4割だったという。『選ばれた者だけがここにいる。プロであるならこうしたボールテクニックがあるのが当たり前だろ(だからフィジカルに特化した練習だ・監督)』。
「実は言葉はそう大きな壁ではない」。
心と体で受け止める。この体験が冒頭のブンデスリーガへの布石となる。

ドイツの地域コミュニティが原風景に

生涯スポーツの観点から、「横浜バディCFC」や「ニッパツ横浜FCシーガルズ」などを推進する横浜FC。

他方、ドイツは生涯スポーツ先進国ともいわれ、市民の日常にもスポーツが浸透している。地域にはサッカーやテニス、卓球など、大小のスポーツクラブが根付き、100年を超えるものも少なくない。
「それは幼児から高齢者まで、スポーツの志向性でつながるコミュニティで、トレーニング後にビールやジュース片手に語り合ったりと、社交の場としても機能している。得意不得意は関係ない。お年寄りが子どもを叱ったりと、そこには今の日本で希薄化した地域ぐるみの温かさがあった」。

スポーツは、「競技」といった狭義の意味だけではなく、心身の健康、世代間を超えた人々との絆など、人生の豊かさを生み出す軸としても機能する。現在、奥寺氏が取り組む総合型地域スポーツクラブ構想にもこうした観点と、まずは人として、地域の一員として、という想いがある。
「ドイツの教育では、自分の意思をもち、社会の役に立つ人間に育てることを重視している。子どもであっても常に『お前は何がやりたいんだ?』と問われる。サッカー選手も例外でなく、社会の一員として、競技リタイヤ後大学に進むか、マイスター(※)の道へと進むか、早い段階から長期的なプランをたてる。プロサッカー選手が引退後まったく別の職業で活躍することは珍しくない」。
今まさに脈打つこの取り組みには、世界と伍して戦い、その地で得た奥寺氏の豊かな視点と想いがつまっている。
「意見を交わしながら地域のみなさんとともに信頼関係を築き、地域が元気になる、オープンで温かいスポーツクラブを目指している。もちろんサッカーだけにこだわらない。スポーツを通した人と人との交流から生まれるものは、考えているより、ずっと大きなものだ」

※マイスター (ドイツ語: Meister) 制度:ドイツ語圏の高等職業能力資格認定制度。手工業、工業、商業、農業など、約170のマイスター資格が存在する

「自ら街へ出て、スポーツの面白さ、その奥の深さを伝える。一番の伝道師はプロの選手たちだ」(奥寺氏)。
プロとして。人として。ピッチだけではない横浜FCの選手たちの姿が街と人を元気にする。

横浜FCが推進する
総合型地域スポーツクラブ構想とは?

スポーツの得意・不得意に関係なく、誰もが地域の住まいの近くで継続的にスポーツを楽しめる環境を目指す。
子どもから高齢者まで誰もが参加できる
拠点となる地域のニーズに応じた様々なプログラム
地域のみんなで企画し自主運営する

詳しくはコチラへ

奥寺 康彦

1952年3月12日生。秋田県出身。小4で横浜に転住。
1970年古河電気工業サッカー部に入部。ユース代表を経て日本代表に選出。
1977年ドイツFCケルンと契約を交わし正式入団。
ドイツのブンデスリーガでは、63試合連続出場記録樹立や235試合で25ゴールなどの戦跡を残した。現在、(株)横浜フリエスポーツクラブ(横浜FC)会長。

リストグループでは、12月10日(土)に 横浜FCの協力を得てサッカー教室を開催しました。